会社売却で手取りに最も効くのは「会社の決算期」ではなく、株式の引渡し(クロージング)が何年に行われるか、つまりオーナー個人の課税年(1月1日〜12月31日)です。 会社の決算期が効いてくるのは、主に役員退職慰労金をどの事業年度の損金にするか、そして買い手側の会計・税務の都合という2点に限られます。
この違いを整理しないまま「決算期の直前に売るべきか、直後に売るべきか」を考えても答えは出ません。この記事では、混同されやすい3つの「期」を切り分けたうえで、実務で判断できるレベルまで落として解説します。
この記事でわかること:
- 売却タイミングに関わる3つの「期」(個人の課税年/会社の事業年度/買い手の事業年度)の違い
- クロージングが12月と1月でずれた場合の、申告・納税・住民税・国民健康保険料のカレンダー比較
- 2026年中と2027年以降で税負担が変わりうる「ミニマムタックス」の影響
- 役員退職慰労金の損金算入年度と、クロージング日・株主総会決議日の関係
- 買い手から「期首・月初にクロージングしたい」「決算期を変更してほしい」と言われる理由
- 「いつの決算書で売りに出すか」が売却価格に与える影響
- 12月クロージングを狙う場合の逆算スケジュール
この記事は、会社の売却時期をこれから決めるオーナー経営者、すでに交渉が進みクロージング日の設定を求められている売り手の方に向けて書いています。
必ずお読みください: 本記事は一般的な情報提供であり、個別の税務判断を行うものではありません。株式の取得費、株主構成、役員退職慰労金の適正額、他の所得の状況、お住まいの自治体の保険料率などによって結論は変わります。実際の判断は必ず税理士・M&Aアドバイザーにご相談ください。また税制は毎年改正されます。適用時点の最新の法令・通達をご確認ください。
結論:売却タイミングで確認すべき「3つの期」

M&Aの売却タイミングの話がかみ合わなくなる原因は、性質の違う3つの期間が「決算期」という言葉でひとまとめにされている点にあります。まず次の表で切り分けてください。
区分 | 期間の単位 | 主に影響するもの | 売り手にとっての重要度 |
|---|---|---|---|
① オーナー個人の課税年 | 暦年(1月1日〜12月31日) | 株式譲渡所得の申告年、納税時期、翌年度の住民税・国民健康保険料、ミニマムタックスの判定 | 最も高い |
② 対象会社の事業年度 | 定款で定めた決算期 | 役員退職慰労金の損金算入年度、繰越欠損金、期中の業績数値 | 中〜高(退職金を出す場合は高い) |
③ 買い手(グループ)の事業年度 | 買い手の決算期 | クロージング希望日、月初・期首クロージングの要請、決算期変更の要請 | 交渉条件として影響 |
売り手オーナーの手取りに直接効くのは①です。株式譲渡益への税率は年内のどのタイミングで売っても原則20.315%(所得税15%+復興特別所得税0.315%+住民税5%)で変わりませんが、「どの年の所得になるか」で申告・納税・翌年度の負担のスケジュールが1年単位でずれます。
出典:国税庁「No.1463 株式等を譲渡したときの課税(申告分離課税)」(令和7年4月1日現在法令等/確認日:2026年7月30日)
税額そのものの計算方法は「会社売却の税金・節税 完全ガイド」、手取りの試算は「M&A売却の手取り額シミュレーション」で詳しく解説しています。
クロージング日が年をまたぐと申告年が1年ずれる
株式譲渡益がどの年の所得になるかは、原則として「株式の引渡しがあった日」で決まります。 実務上は、株式の引渡しと譲渡代金の決済が完了するクロージング日がその基準になります。
原則は引渡日基準
譲渡所得の総収入金額を計上すべき時期は、所得税基本通達36-12により、原則として資産の引渡しがあった日とされています。株式譲渡でいえば、株主名簿の書換えや株券の交付など、株式の引渡しが実行された日です。
出典:所得税基本通達36-12(税務研究会 法令データベースにて条文見出しを確認/確認日:2026年7月30日。適用時は国税庁が公開する法令解釈通達の原文をご確認ください)
契約効力発生日基準を選べる場合もあるが、株式では慎重に
譲渡所得については、納税者の選択により「契約の効力発生の日」を基準に収入計上することも認められる場合があるとされています。ただし専門家の解説は不動産譲渡を前提としたものが中心で、私法上の契約成立(手付金の授受など)が確認できることが前提と整理されています。
出典:ZEIKEN LINKS「譲渡所得の金額の計算上、総収入金額を契約効力発生日基準により確定させる場合の留意点」(確認日:2026年7月30日)
非上場株式のM&Aで「12月末クロージングでも契約日基準にして前年に寄せられる」と単純に考えるのは危険です。 適用の可否は契約内容・決済状況によって変わるため、必ず顧問税理士に個別確認してください。
12月クロージングと1月クロージングの比較
同じ売却額・同じ税率でも、クロージング日が年をまたぐだけで、その後2年間のスケジュールが丸ごとずれます。
項目 | 2026年12月20日クロージング | 2027年1月10日クロージング |
|---|---|---|
所得が属する年 | 2026年分(令和8年分) | 2027年分(令和9年分) |
確定申告の時期 | 2027年2月16日〜3月15日 | 2028年2月16日〜3月15日 |
所得税・復興特別所得税の納付 | 2027年3月 | 2028年3月 |
住民税の負担開始 | 2027年6月〜 | 2028年6月〜 |
国民健康保険料への影響(国保加入の場合) | 2027年度の保険料 | 2028年度の保険料 |
ミニマムタックスの判定 | 令和8年分のルールで判定 | 令和9年分のルールで判定 |
※申告期限は各年の暦により前後します。上表は一般的なスケジュールです。
ポイントは2つあります。
- 納税資金の拘束期間が変わる。 年明けクロージングにすれば納税は約1年先になり、その間は資金を運用・保全できます。一方で「税金を払い終えるまで気が済まない」タイプのオーナーには年内クロージングのほうが心理的に楽です。
- 判定に使うルールの年が変わる。 後述するミニマムタックスのように、年によって適用ルールが変わる制度がある場合、この1日の差が税額そのものを動かします。
クロージング日の実務的な意味は「M&Aクロージングとは 手続き・流れ」で整理しています。
売却後2年間のお金のカレンダー:住民税と国民健康保険料
株式譲渡益の影響は売却年で終わりません。住民税は翌年6月から、国民健康保険料は翌年度から負担が増える可能性があります。 ここを見落とすと、手取りの使い方を誤ります。
住民税は翌年6月から
住民税は前年1月1日〜12月31日の所得をもとに計算され、翌年6月から納付が始まります。株式譲渡益に対する住民税5%分は、売却の翌年に負担が来る形になります。
国民健康保険料・後期高齢者医療保険料への影響
申告分離課税であっても、確定申告をすれば譲渡所得は保険料の所得割の算定基礎に含まれるため、翌年度の国民健康保険料・後期高齢者医療保険料が大幅に上がる可能性があります。 複数の自治体が公式サイトで注意喚起しています。
出典:荒川区「株式や配当などの確定申告による国民健康保険料への影響」、豊田市「株式等の譲渡所得等の国民健康保険への影響」(いずれも確認日:2026年7月30日)
売却後にオーナーが会社の社会保険から抜けて国民健康保険に切り替わるケースでは、この影響がとくに大きく出ます。ただし保険料は自治体ごとに料率・賦課限度額が異なるため、具体的な金額はお住まいの市区町村にご確認ください。
実務的な備え方
- 譲渡代金を受け取った時点で、所得税・住民税分を別口座に分けて確保する
- 加えて、翌年度の国民健康保険料の増加分(自治体の賦課限度額を上限として概算)も見込んでおく
- 売却の翌年に大きな支出(住宅取得・相続対策など)を予定している場合は、納税・保険料のピークと重ならないか確認する
※申告方法によって保険料への影響が変わる場合があります。具体的な申告方法の選択は税理士に、保険料の計算は市区町村の窓口にご確認ください。
申告実務の詳細は「会社売却後の確定申告・税務手続きガイド」をご覧ください。
2026年と2027年で変わる「ミニマムタックス」の影響

譲渡益が数億円規模になるオーナーにとって、2026年時点で最も大きな「タイミング」の論点はミニマムタックス(極めて高い水準の所得に対する追加課税)です。 令和9年(2027年)分から強化されるとされており、売却年が1年違うだけで税額が変わりうるためです。
現行ルールと強化後の比較
項目 | 令和8年(2026年)分まで | 令和9年(2027年)分以降 |
|---|---|---|
特別控除額 | 3.3億円 | 1.65億円 |
適用される最低税率 | 22.5% | 30.0% |
計算の考え方 | (基準所得金額 − 控除額)× 税率が基準所得税額を上回る場合、その差額を追加で申告納税 | 左と同じ考え方(控除額と税率のみ変更) |
出典:辻・本郷 税理士法人「令和9年の『ミニマムタックス強化』が資産家にもたらす影響とは?」(確認日:2026年7月30日)
譲渡所得10億円の場合の試算
同じ売却でも、実行年が変わると納税額が大きく動く例です。
ケース | 通常の所得税額 | ミニマムタックスの計算 | 最終的な納税額 |
|---|---|---|---|
令和8年(2026年)中に売却 | 約1億5,315万円 | (10億円 − 3.3億円) × 22.5% = 約1億5,075万円 | 約1億5,315万円(追加なし) |
令和9年(2027年)以降に売却 | 約1億5,315万円 | (10億円 − 1.65億円) × 30% = 約2億5,050万円 | 約2億5,576万円(追加あり) |
出典:辻・本郷 税理士法人(同上)。※所得税・復興特別所得税ベースの概算であり、住民税は含みません。取得費・譲渡費用・他の所得はゼロと仮定した単純化した例です。
売却時期が1年違うだけで約1億円の負担差が生じる計算例です。
「いくらから効いてくるか」の目安
株式譲渡所得が所得の大部分を占めるケースを単純化して計算すると、追加課税が発生し始めるラインはおおよそ次のイメージになります。
- 令和8年分まで: 譲渡所得がおおむね10億円前後を超えたあたりから追加課税が生じうる
- 令和9年分以降: 譲渡所得がおおむね3億円台を超えたあたりから追加課税が生じうる
これは他の所得(役員報酬・退職所得・不動産所得など)や各種控除を考慮しない概算の目安です。実際の判定は基準所得金額・基準所得税額の計算によるため、譲渡益が数億円規模になる見込みなら、必ず税理士に個別試算を依頼してください。
注意: 令和9年分以降の強化内容は税制改正に基づく情報を含みます。改正法の成立・施行状況、および国税庁が公表する判定用の様式については、実行時点で最新情報をご確認ください。
会社の決算期が効く場面①:役員退職慰労金の損金算入年度
会社の事業年度が売り手の税務に直結する最大の場面は、役員退職慰労金です。損金算入時期は原則として「株主総会の決議等で金額が具体的に確定した日の属する事業年度」になります。
国税庁が示す原則と例外
- 原則: 株主総会の決議等によって退職金の額が具体的に確定した日の属する事業年度に損金算入
- 例外: 法人が実際に支払った事業年度に損金経理した場合は、その支払った事業年度での損金算入も認められる
- 取締役会で内定した段階での未払金計上(前払計上)は、その時点では損金算入が認められない
出典:国税庁「No.5208 役員の退職金の損金算入時期」(令和7年4月1日現在法令等/確認日:2026年7月30日)、法人税基本通達9-2-28
M&A実務での設計ポイント
役員退職慰労金は、支給によって会社の純資産が減るため株式の譲渡価額と表裏の関係にあります。したがって、「誰が株主のときに、どの事業年度で決議・支給するか」の設計が必要です。
- 決議・支給をクロージング前に行うのか後に行うのかを、最終契約の交渉段階で明確に決めておく
- 支給額・支給時期・譲渡対価への反映方法を、基本合意書または最終契約書に落とし込む
- 決議から実際の支給までを近接させる(決議後に長期間放置すると、利益調整と見られるリスクを指摘する専門家の見解があります)
- 決算期末をまたぐ場合、退職金を損金にできる事業年度が変わり、会社の課税所得が大きく動く点を買い手と共有する
退職金の適正額(功績倍率方式)や退職所得課税の詳細は「M&A 役員退職慰労金の活用・節税ガイド」で解説しています。保険を退職金原資にしている場合は「会社売却時の法人保険・役員退職金プランの整理」も併せてご確認ください。
※役員退職慰労金の損金算入は、金額の適正性・手続きの適正性の両面で否認リスクがあります。設計は必ず税理士の関与のもとで進めてください。
会社の決算期が効く場面②:買い手側の事情

買い手から「期首にしてほしい」「月初にしてほしい」と言われるのは、値切りでも引き延ばしでもなく、買い手側の会計・税務処理の都合であることが多いです。 背景を知っておくと、譲れる条件と譲れない条件を切り分けやすくなります。
買い手が期首・月初を希望する主な理由
- 連結決算の処理負担。 株式譲渡では支配獲得日(通常はクロージング日)を基準に連結処理を行うため、期中の中途半端な日付だと決算作業が煩雑になります。
- グループ通算制度への加入時期。 100%子会社化して通算グループに加入する場合、原則は株式の引渡日に加入したものとみなされ、その前後で事業年度が区切られます。ただし一定の書類を提出することで、完全支配関係発生日の前日が属する月次決算期間の末日または会計期間の末日までを一事業年度とする特例が設けられています(=翌月初または翌期首からの加入)。
- PMI(統合作業)の区切り。 会計システム・人事制度の切替は期首・月初のほうが実務負荷が小さくなります。
出典:国税庁「通算制度に加入する場合の事業年度の特例(グループ通算制度に関するQ&A 32)」(確認日:2026年7月30日)
※グループ通算制度は、買い手が同制度を採用している場合の論点です。中小企業同士のM&Aでは該当しないケースも少なくありません。
売り手としての判断
- 1〜2か月程度の後ろ倒しなら応じてよい場面が多い。 ただし年をまたぐ場合は、前述の申告年・ミニマムタックス判定年の変化を必ず確認する
- 後ろ倒しに応じる代わりに、価格調整条項や表明保証の範囲など他の条件を交渉材料にする
- クロージングを遅らせる間の業績悪化リスク・情報漏えいリスクも併せて考える
契約形態やスケジュール面の交渉で不利にならないための考え方は「M&A 専任契約 vs 非専任契約 違い・選び方」「M&A 売却にかかる期間・タイムライン」も参考になります。
「決算期を変更してほしい」と言われたときの判断
決算期の変更は、株主総会の特別決議による定款変更と、税務署等への異動届出書の提出で行えます。登記は不要です。 手続き自体は重くありませんが、変更する年は1年未満の変則的な事業年度が発生します。
一般的な手続きの流れ
- 株主総会の特別決議で定款の事業年度に関する定めを変更する(事業年度は定款記載事項)
- 定款そのものを差し替える必要はなく、決議により改定したものとして扱う
- 法務局への登記申請は不要(事業年度は登記事項ではない)
- 税務署・都道府県税事務所・市区町村へ異動届出書を提出(株主総会議事録の写しを添付)
出典:GVA 法人登記「決算期変更の手続きとは?」、小谷野税理士法人「決算期変更の手続きの流れ」(いずれも確認日:2026年7月30日)
判断のポイント
- 変更の要請は、多くの場合買い手グループの連結決算やグループ通算の都合によるものです。売り手個人の税額が直接変わる話ではありません
- クロージング前に売り手側で変更するのか、クロージング後に買い手が変更するのかを明確にする(クロージング後に買い手側で行えば足りるケースも多いため、まずその可否を確認する)
- クロージング前に変更する場合、変則決算に伴う申告・税務の追加コストと、役員退職慰労金の損金算入年度への影響を税理士に確認する
M&Aのために決算期を変更すること自体の一般的な税務メリットを明示した公的資料は、現時点で確認できていません。「買い手側の事情に合わせるための手続き」と位置づけ、売り手が節税目的で能動的に変更するものではないと考えるのが安全です。
いつの決算書で売りに出すか:決算数値と売却価格の関係

買い手が最初に見るのは直近3期分の決算書です。「どの3期を見せる状態で売りに出すか」は、税務ではなく企業価値評価の観点でタイミングを左右します。
M&Aの初期段階で求められる基本資料には、直近3期分の決算書(法人税申告書・勘定科目内訳明細書を含む)が含まれます。譲渡対価の算定基礎になる資料です。
出典:BATONZ「会社や事業の譲渡交渉で、どんな資料を用意するのか」、M&Aキャピタルパートナーズ「M&Aにおける決算の重要性とは?」(いずれも確認日:2026年7月30日)
「節税優先の決算」と「評価される決算」は逆方向に働く
法人税を抑えるための利益圧縮(過大な保険料、決算賞与、駆け込みの設備投資など)を続けていると、決算書上の利益が小さく見えます。多くの中小企業M&Aでは営業利益やEBITDAをベースに評価するため、利益を圧縮した決算が続いていると評価額が低く見積もられやすい、という考え方があります。
そのため、売却を意識するなら次のような時間軸で考える整理が実務では語られます。
売却までの残り期間 | 決算・数値面でやること |
|---|---|
3期前〜2期前 | 節税優先の決算方針を見直す。オーナー個人の支出と会社経費の混在を解消する |
2期前〜1期前 | 役員報酬・地代家賃などの関係者取引を適正化。棚卸資産・売掛金の実在性を整える |
直前期 | 決算書と実態が一致した状態にする。修正すべき点は自ら開示できるよう整理する |
交渉期間中 | 月次決算を締められる体制にし、期中の業績を説明できるようにする |
※これは実務上の一般的な考え方であり、「利益を戻せば必ず売却価格が上がる」ことを示す定量的な公的データは確認できていません。実施の可否は、節税による税務メリットとの比較で判断してください。
決算数値の整え方は「M&A売却前の財務クリーニング」、評価の仕組みは「EBITDA倍率とは」「M&A売却価格を上げる方法」で解説しています。
決算期末直後にクロージングする場合の実務
決算期末の直後は、確定した直近の財務数値をそのまま買い手に示せる利点があります。一方で棚卸・決算作業とクロージング作業が重なり、経理担当の負荷が集中します。クロージング時点の運転資本を基準に対価を調整する価格調整条項が入る場合は、帳簿と現物が一致している状態を保てるかどうかが実質的な判断材料になります。
赤字・繰越欠損金がある会社の売却タイミング
「赤字だが繰越欠損金があるから買い手にメリットがある」という期待は、必ずしも成り立ちません。 法人税法には、繰越欠損金目当ての買収を制限する規定があります。
法人税法57条の2では、他の者との間に50%超の支配関係を持つこととなった法人(支配日の属する事業年度に繰越欠損金または評価損資産を有するもの=欠損等法人)が、支配日以後5年を経過する日の前日までに一定の事由に該当した場合、支配日前の事業年度に生じた繰越欠損金の繰越控除ができなくなるとされています。
出典:法人税法57条の2(税務研究会 法令データベース)、国税庁「第1節 欠損金の繰越し」(確認日:2026年7月30日)
売り手としての実務的な受け止め方
- 繰越欠損金は、買い手が事業を大きく転換しない前提でなければ価値になりにくい
- したがって「欠損金があるから高く売れる」という交渉材料としては弱い
- 赤字が続いている場合は、業績の下降が続くほど評価は下がるため、タイミングとしては早期に動くほうが選択肢が残りやすい
- 廃業と比較して判断する場合は「M&Aか廃業か 比較・判断基準」も参考にしてください
※欠損等法人に該当するか、特定の事由に該当するかの判定は複雑です。買い手側の税務論点でもあるため、双方の税理士による確認が前提になります。
事業承継税制の期限との関係:M&A売却には使えない
第三者へのM&A売却に事業承継税制は使えません。 事業承継税制は、親族内承継や社内承継で非上場株式を贈与・相続する場合に、贈与税・相続税の納税を猶予・免除する制度です。ここを混同すると、検討の時間軸を誤ります。
ただし「親族内承継を目指すか、第三者に売却するか」を決めきれていないオーナーにとって、事業承継税制(特例措置)の期限は判断のデッドラインになります。
項目 | 現時点で示されている期限 |
|---|---|
特例承継計画の提出期限(法人版) | 2027年9月30日(令和8年度税制改正により延長とされています) |
贈与・相続の適用期限(法人版) | 2027年12月31日(変更なし) |
個人版の計画提出期限 | 2028年9月30日 |
個人版の適用期限 | 2028年12月31日 |
出典:税理士法人山田&パートナーズ「事業承継税制 特例承継計画等の提出期限の延長」(確認日:2026年7月30日)
注意: 提出期限の延長は税制改正に基づく情報です。適用にあたっては中小企業庁「法人版事業承継税制(特例措置)」のページで最新の期限表記をご確認ください。
制度の詳細は「事業承継税制とは(特例措置の期限・要件)」、親族内承継との比較は「事業承継 親族内承継 vs M&A 比較」で解説しています。
【逆算スケジュール】年内クロージングを狙うなら、いつ動くか
「今年12月にクロージングしたい」と思った時点で動き出すのでは、間に合わないことが多いです。 最終契約からクロージングまでに一般的に1〜3か月、その手前のマッチング・デューデリジェンスを含めると全体で6か月〜1年程度を見るのが現実的です。
出典:fundbook「M&Aのクロージングとは?」、M&A総合研究所「M&Aのクロージングとは?」(いずれも確認日:2026年7月30日)
12月クロージングを目標にした場合の逆算例
時期 | やること |
|---|---|
前年秋〜当年1月 | 売却目的・希望条件の整理、決算書・株主名簿・契約書の棚卸し、顧問税理士への相談 |
2〜4月 | 仲介会社・FAの比較選定、アドバイザリー契約、企業概要書(IM)の作成 |
5〜7月 | 買い手候補への打診、秘密保持契約、トップ面談 |
7〜8月 | 意向表明書(LOI)の受領、条件比較、基本合意 |
8〜10月 | デューデリジェンス対応、最終条件交渉、役員退職慰労金の取扱い決定 |
10〜11月 | 最終契約(SPA)締結、クロージング条件の充足作業(許認可・株主対応・個人保証の整理) |
12月 | クロージング(株式の引渡し・決済)、必要に応じて株主総会での退職慰労金決議 |
翌年2〜3月 | 確定申告・納税 |
翌年6月〜 | 住民税の負担開始、国民健康保険料への影響が反映 |
※上表は一般的な期間をもとにした目安です。許認可の承継や分散した株主の集約が必要な場合、さらに数か月〜1年以上かかることがあります。
準備の抜け漏れ確認には「会社売却 タイムライン別チェックリスト」「会社売却 準備チェックリスト」が使えます。個人保証の解除は「会社売却 個人保証・連帯保証 解除方法」で確認してください。
タイミング設計の効果が大きい会社/急がなくてよい会社
タイミング設計を優先的に検討したいケース
- 譲渡益が3億円を超えそうな会社 — 令和9年分以降のミニマムタックス強化の影響を受ける可能性があります。売却年の設計が税額に直結するため、早い段階での税理士試算が必須です
- 役員退職慰労金を大きく取りたいオーナー — 決議日・支給日と事業年度の関係で損金算入年度が変わるため、クロージング日と株主総会の設計が必要です
- 売却後に国民健康保険へ切り替わるオーナー — 翌年度の保険料増を織り込んだ資金計画が必要です
- 買い手が上場企業・大手グループの会社 — 期首・月初クロージングや決算期変更の要請が出る可能性があり、事前に想定しておくと交渉がスムーズです
- 相続・引退時期が決まっている会社 — 逆算スケジュールを引いて、間に合う条件を先に確認すべきケースです
タイミングにこだわりすぎなくてよいケース
- 譲渡益が数千万円〜1億円程度に収まる見込みの会社 — 税率は年内どこで売っても原則20.315%です。ミニマムタックスの影響もありません。無理に年をまたぐ調整をするより、条件のよい買い手と確実に合意することを優先すべきです
- 業績が下降局面にある会社 — 待つほど評価が下がるリスクがあります。税務上の1年の違いより、事業価値の目減りのほうが大きくなりがちです
- オーナーの健康・年齢に不安がある会社 — 交渉途中で意思決定ができなくなるリスクが最も重大です
- 買い手候補が限られている会社 — 相手が現れたタイミングが実質的なベストタイミングです
定性的な売り時の判断は「会社の売り時 判断基準5つ」で整理しています。
タイミング設計でやってはいけない5つのこと
- 税務メリットのために好条件の買い手を待たせすぎる。 クロージングを数か月遅らせている間に買い手の投資方針が変わり、条件が下がる・破談になるケースがあります。
- 「12月末クロージングでも契約日基準で前年に寄せられる」と自己判断する。 収入計上時期の判断は個別に確認が必要です。
- 役員退職慰労金の決議だけ先に行い、支給を長期間放置する。 利益調整と見られるリスクを指摘する見解があります。決議と支給は近接させるのが基本です。
- 納税資金・保険料増を織り込まずに譲渡代金を使ってしまう。 所得税は翌年3月、住民税は翌年6月から、国民健康保険料は翌年度から負担が来ます。
- 決算数値を良く見せるために不適切な処理を行う。 実態と乖離した決算はデューデリジェンスで発覚し、価格引き下げや破談、表明保証違反による損害賠償請求の原因になります(「未計上負債の表明保証違反・判例解説」参照)。
税理士・M&Aアドバイザーに相談するタイミングと持ち物
相談は「売却が決まってから」では遅く、譲渡益の規模が見えた段階が適切なタイミングです。 クロージング日が決まってからでは打てる手がほとんど残りません。
いつ相談するか
タイミング | 相談内容 |
|---|---|
売却を検討し始めた段階 | 譲渡益の概算、株式の取得費、ミニマムタックスの該当可能性、事業承継税制と売却の比較 |
仲介会社・FAの選定時 | 手数料の見込み額(譲渡費用として控除できる範囲)、税理士との連携体制 |
基本合意の前 | 役員退職慰労金の適正額と支給時期、クロージング日の候補、決算期をまたぐ場合の影響 |
最終契約の前 | 最終的な税額シミュレーション、価格調整条項の税務影響 |
クロージング後 | 確定申告の準備、納税資金と保険料の資金計画 |
相談時に持っていく資料
- 直近3期分の決算書・法人税申告書
- 株主名簿(過去の異動履歴を含む)
- 株式の取得費がわかる資料(設立時の定款、出資金の振込記録、過去の株式譲渡契約書など)
- 役員報酬の推移と役員在任年数がわかる資料
- 想定される譲渡価額のレンジと、希望するクロージング時期
なお、M&A仲介手数料は個人株主が負担した場合、譲渡費用(必要経費)として譲渡所得から控除できるとされています。ただし会社が契約当事者として負担した場合の取扱いは異なり得るため、誰が負担するかを含めて税理士に確認してください。
相談先の選び方は「M&Aの相談先一覧(税理士・銀行・仲介会社)」、費用の相場は「M&A費用・手数料ガイド」をご覧ください。
よくある質問(FAQ)
Q. 決算期の直前と直後、どちらにクロージングするのが有利ですか?
一律の答えはありません。直後は確定した直近決算をそのまま提示できる一方、経理の作業負荷が決算とクロージングで重なります。直前は期中の月次数値で交渉することになり、価格調整条項の設計が重要になります。売り手個人の税額はどちらでも変わらないため、役員退職慰労金の損金算入年度と経理体制の余力で判断するのが実務的です。
Q. 買い手から「クロージングを来年1月にしたい」と言われました。応じても問題ありませんか?
多くの場合は買い手の会計・税務処理の都合であり、応じても不利益はありません。ただし年をまたぐことで申告年が1年後になり、ミニマムタックスの判定に使われるルールの年も変わります。譲渡益が3億円を超える見込みなら、応じる前に税理士に影響額を確認してください。
Q. 会社の決算期を売却前に変更すると、税金が安くなりますか?
売り手個人の株式譲渡益に対する税金は、会社の決算期では変わりません。決算期の変更は買い手側の連結決算・グループ通算の都合で求められることが主な理由です。ただし役員退職慰労金の損金算入年度は動くため、退職金を支給する場合は影響を確認する必要があります。
Q. 売却した年に役員報酬を減らしておくと有利ですか?
株式譲渡益は申告分離課税なので、役員報酬の増減で譲渡益部分の税率が変わることはありません。ただし基準所得金額を用いるミニマムタックスの判定や、翌年度の住民税・国民健康保険料の算定には他の所得も影響します。該当しそうな規模の場合は、報酬水準を含めて税理士と設計してください。
Q. 分割払い(一部を翌年受領)にすれば、その年の所得を分散できますか?
代金の支払時期と、譲渡所得を計上すべき時期は別の話です。原則は株式の引渡日基準で判断されるため、単純に「入金した年ごとに所得が分かれる」わけではありません。アーンアウト(業績連動の追加対価)が付く場合の取扱いは別途論点があるため、「M&Aアーンアウト受領時の税務・会計処理ガイド」も併せてご確認ください。
Q. 赤字決算の年に売却すると不利ですか?
株式譲渡益への課税は会社の損益とは切り離して計算されるため、会社が赤字でも譲渡益が出れば課税されます。実務上の問題は税金ではなく評価です。赤字が続く局面では買い手の評価が下がりやすく、繰越欠損金にも買い手側の制限規定があるため、必ずしも加点材料になりません。
Q. 売却の何年前から準備すべきですか?
税務と決算の観点では2〜3期前から着手できると選択肢が広がります。プロセス自体は6か月〜1年で進められますが、株式の分散解消、関係者取引の整理、決算数値の適正化、株式の取得費の確認は短期間ではできません。
まとめ
- 手取りに最も効くのはクロージング日がどの暦年に入るか。税率20.315%は年内どこで売っても原則変わらないが、申告・納税・住民税・国民健康保険料のスケジュールが1年ずれる
- 譲渡益が数億円規模なら、令和9年(2027年)分からのミニマムタックス強化が最大のタイミング論点。控除額3.3億円・税率22.5%から、控除額1.65億円・税率30%へ強化されるとされている
- 会社の決算期が効くのは主に役員退職慰労金の損金算入年度。株主総会決議日と事業年度の関係を、クロージング日とセットで設計する
- 買い手の期首・月初クロージング希望や決算期変更の要請は、連結決算・グループ通算の都合が背景。1〜2か月の調整なら応じてよい場面が多いが、年をまたぐ場合は影響を確認する
- 「いつの決算書で売りに出すか」は評価の問題。節税優先の決算方針は2〜3期前に見直すという考え方がある
- 税務メリットのために好条件の買い手を待たせるのは本末転倒。タイミング設計は交渉条件の最適化とセットで考える
本記事は、記載の出典を確認した時点の公的情報・専門家見解に基づく一般的な整理です。税制は毎年改正され、個別の結論は取得費・株主構成・他の所得等によって変わります。実際の判断は必ず税理士・M&Aアドバイザーにご相談ください。
関連記事:
